気まぐれ文章

短いのとかそうでないのとか

双世界狼梟目撃談⑤
※ちょっと長め&ほぼ会話文

「いいなあ、こういうの」
 本の真っ赤な表紙を閉じて、わたしは空を仰いだ。
「こんな絵に描いたようなロマンスはお伽話の中だけっていうのはよくわかってはいるけど、それでもやっぱり憧れちゃうよね」
 いいなあ、ともう一度呟いて、ジュースの入ったグラスを手に取る。ストローを咥えるのと同時に、中の氷がカランと音を立てた。
「へえ、そういうふうに思うんだ。私はあんまりピンとこないけどなあ」
 そう口にしたリンウェルは、ちょうど運ばれてきたケーキの先端をフォークで掬ったところだ。やわらかなクリームの載ったスポンジをひと息に頬張っては、とろけるような笑顔を見せる。
「とはいえ、なかなか現実には起こり得ないからこそ憧れるのかもね。その辺にごろごろ転がってるようじゃ、羨ましくもなんともないし」
「確かにそれはそうかも。やっぱり運命の出会いは特別ってことかあ」
 はあ、と2人でついたため息がヴィスキントの空に消えていく。穏やかな陽気が街中を包み込む、とある午後のことだ。
 今日は、リンウェルと街のカフェに来ていた。互いに最近読んだ本を持ち寄って、取り留めもない感想や意見を言い合っていた。
 わたしが持ってきたのは、少し前に流行った恋愛小説だった。著作がレナの人で、たった一度きり出会っただけの男女がどうしても惹かれ合ってしまうという内容だ。運命に翻弄されながらも最終的に二人の気持ちは通じ合い、結ばれるという流れだった。
 わたしはそれを以前から少しだけ気にはしていたけれど、図書の間で借りるまでには至らなかった。それが今になってこうして読む気になったのは、先に借りたリンウェルがとても不満そうにしていたからだ。「思ったのと違う」というぼやきが今にも聞こえてきそうな表情は、わたしのその本に対する好奇心を再燃させた。
 どんな内容かとハラハラしていたけれど、個人の感想で言えばそれほど悪くはなかった。確かに思うところはあったけれど、まあ創作であればこういったストーリーはあるあるの範疇だ。もっとも、普段はダナの歴史書や古文書を中心に読みふけっている現実派のリンウェルからすると、この話の流れはあまりにも突飛で受け入れがたいものだったらしい。
「途中まで紆余曲折あったくせに、終盤はあまりにも上手くいきすぎじゃない? いろいろ事件があったのに、結局は誰からも祝福されるなんて」
 口をへの字に曲げて、憤慨したようにリンウェルは言う。
「誰かの不幸によって結ばれる恋人なんて、絶対長続きしないよ」
「まあまあ、あくまで物語だし。そこに書かれていない何かがあったのかもしれないし」
「それはそうだけど、もし私が向こうの元恋人だったら、こんなふうに笑顔で送り出せないと思うな」
 確かに、とわたしは心の中で密かに笑った。リンウェルならハンカチを嚙みながら見送った後で、一生分の呪いをかけるに違いない。
「あ、今何か失礼なこと考えたでしょ」
 じっとりとした視線をリンウェルが寄越す。
 わたしは「ううん。別に?」と素知らぬ顔でジュースを啜った。そうして二人で顔を見合わせた後で、くすくすと笑い合った。
「それでもこういう衝撃的な出会いこそ、リンウェルにとっては割と身近なものなんじゃない?」
 訊ねると、リンウェルは少し首を傾げた後で、すぐに思いついたように言った。
「ああ、アルフェンとシオンのこと? うん、まあ確かにあの二人はちょっと特殊だと思うけど……それでも旅の途中からもうすでにいい雰囲気出してたしなあ」
 こういうのとはまたちょっと違うかも。リンウェルはそう言って再び皿のケーキをつつき始める。
「違うよ。そうじゃなくて、わたしが言ってるのはリンウェルのこと」
「私?」
「ほら、〈紅の鴉〉の彼。ロウくんだっけ?」
 名前を出した途端、リンウェルの顔が一瞬にして引きつった。
「ええっ! なんで!」
「なんでって、よく彼と一緒に居るの見かけるし? 歳も近いっていうし?」
 わたしは以前から彼のことをリンウェルから聞いていた。それに、それなりの頻度でカラグリアからはるばるメナンシアを訪れてはリンウェルを探す彼のことは、わたしたち図書の間仲間の中でもちょっとした話題になっていた。時折、リンウェルと彼は恋仲なんじゃないかと勘繰る人が出てくるくらいだ。そんな噂を耳にするたび、リンウェルが困った顔で必死に火消しをする姿をよく見かけていた。
 まあ、そう思ってしまう人がいるのもわからなくはない。リンウェルと彼のこれまでのいきさつを聞けばなおさら。
「なかなか運命的だと思うけどなあ。旅の途中で出会って、いきなり魔法で吹き飛ばすなんて」
「衝撃的の意味が違うよ! それに、ロウとはそういうんじゃないから!」
「そう? だって頻繁に家に泊まりに来てるんでしょ?」
「ま、まあ、それはそうだけど……」
 わたしの質問に、リンウェルはみるみる声を小さくした。
「でも、それはロウがお金がないって言うから、仕方なく泊めてあげてるだけ!」
 こないだだって、あいつってばお給金を全部新しい装備に使っちゃったんだよ? 後先なーんにも考えずに! おかげで宿の安い部屋も取れなくなったって言うから、リビングのソファ貸してあげたの。ほんと、いい迷惑だよね。まあおかげで朝起こしてもらえるから、それはそれで助かってるけど。あ、そうそう、それにその前だって――。
 早口でまくし立てるリンウェルの恨み言はまだまだ続きそうだった。わたしは追加で注文したジュースの氷をストローで突きながら、ぼんやりその話を聞いていた。

 それからしばらくして、たまたまリンウェルの家に行く機会があった。借りた本を読み終えたので、直接部屋まで行って返すことにしたのだ。
 教えてもらった部屋を訪ねてみて驚いた。わたしを出迎えてくれたのはリンウェル、ではなく、例の彼――ロウくんだった。
「あんたがリンウェルの友達だな。話は聞いてるぜ」
 にこやかに笑った彼は、わたしを中へ入るよう促した。「あんまし片付いてもねえけど、その辺の椅子にでも座ってくつろいでくれ」
 その口ぶりは、まるで自分が所有者であるかのようだった。
 リンウェルが留守にしていると聞いて驚いたけれど、どうやら彼女はたった今、お茶菓子を買いに行ったらしい。いつもカフェで行っている感想・意見の交換会を、今日はこの部屋で開きたいようだった。
「急にあいつ『お菓子用意するの忘れた!』とか言い出してよ。慌てて財布持って出て行ったんだ。まあすぐ戻ってくると思うぜ。そう遠くまで行ったわけでもねえだろ」
 ロウくんは言葉遣いこそ粗雑なところはあったが、とても親しみやすい人だということがわかった。いまだにこの状況に戸惑い、ぎこちなくなっているわたしにも、気さくに話しかけてくれた。
「そういや、何か飲むか? 今日暑いもんな。こんな路地の奥まで来て、くたびれただろ」
「あ、いえ、お構いなく」
「やっぱお茶か? でも勝手に使うとあいつ怒るんだよな……」
 ロウくんはキッチンの戸棚の前で呟きながら、茶葉の袋のようなものを眺めては首を傾げていた。うーんと少し考えを巡らせた挙句、彼がわたしに差し出したのはグラスに入ったお水だった。カラカラと中で揺れる氷が涼しげだ。「ありがとう」とロウくんにお礼を言ってグラスに口を付けていると、やがて部屋の扉が勢いよく開いた。
「――ただいま!」
 飛び込んできたのは、紙箱を片手に小さく息を切らしたリンウェルだった。その額にはうっすら汗をかいていて、ここまで相当急いで来たことが見て取れる。
「ごめんね、ケーキ屋さんが少し混みあってて」
 肩で息をするリンウェルに向かって、ロウくんは呆れたように言った。
「だから俺が行くって言ったろ。そうすりゃお前は友達と部屋で待ってるだけで良かったってのに」
「だって、ロウに任せたら何買ってくるかわからないじゃない。それに今日私はチョコケーキの気分だったの! これはお店に行かないとわかんないの!」
 そうかよ、と言ってロウくんは肩をすくめた。怒るでも不機嫌になるでもなく、ただリンウェルから黙って箱を受け取る様は、こういった受け答えに随分慣れているようにも見えた。
「ほらほら、わかったらお皿出して」
「へいへい」
「いつものじゃなくて、奥のきれいなやつね」
「へーい」
 キッチンに立った二人は見事なまでの連係プレーを見せた。リンウェルの指示をロウくんはすぐに理解し、的確にこなしていく。
 ふとリンウェルはわたしの手元に視線を向けた後で突然、
「あーっ!」
 大きな声を出した。
「ロウってば、お客さんにお水なんか出して! こういう時はちゃんとお茶出してよね!」
「だってお前勝手に開けると文句言うだろ。それに淹れ方もよくわかんねえし」
「私のいっつも見てるじゃん。それと、お客さんが来たら普段使いのグラスじゃなくて、きちんとしたティーカップ使って!」
「へいへい。ったく、いちいち騒がしい奴だな」
「なあに? 何か言った?」
 何にも、とそっぽを向くロウくんの脇腹をリンウェルが肘で小突く。ロウくんは「ひゃっ」と小さな悲鳴を上げながら、なんとかお皿にケーキをのせていた。
 そんな目の前で繰り広げられる光景に、わたしはただ呆然としていた。今日初めてまともに会話を交わすロウくんはともかく、こんなふうな調子で誰かと話すリンウェルは見たことがなかった。
 リンウェルはどちらかといえば大人しい方で、強く前に出ることは少ない。本や歴史のことになるとまた違うけれど、普段みんなと話している時は聞き手に回ることが多かった。
 それがロウくんの前になるとこんなふうになるのだということを、わたしは今日初めて知った。これは驚きでもあり、新たな発見だ。リンウェルという、人より秘密の多い彼女の正体を垣間見る発見。
 ドキドキと微笑ましさで胸をいっぱいにしていると、その間キッチンではリンウェルのお茶出し講座が開かれていた。やがてテーブルの上にはお皿にのったケーキと可愛らしいデザインのカップが並ぶ。湯気の立つお茶は部屋中に芳しい香りを漂わせていて、なるほど、これがリンウェルのお気に入りかとまたひとつ新たな発見を見出せたような気がした。
「ごめんね、いろいろ慌ただしくしちゃって。騒がしかったでしょ」
 ようやく正面の席に着いて、リンウェルが微笑む。
「でもやっとこれで落ち着いて話ができるね。やっとケーキも食べられる!」
「わざわざありがとうね。通りに出てまで買ってきてくれるなんて」
「私が食べたかったんだからいいの。あ、チーズケーキで良かった?」
 うん、とわたしは頷いた。リンウェルのお皿ではもちろん、漆黒に輝くチョコレートケーキがつやつやとした光沢を覗かせていた。
「あ、ロウのケーキは保存庫に入れてあるから。好きに食べていいよ」
「おう、サンキュ」
 声を掛けられたロウくんはキッチンにて、マグで残りのお茶を啜っているところだった。
「あーでも、夜にすっかな。これから仕事だし」
「そういえばそうだったっけ。何時から? 間に合う?」
「余裕。夕飯前には戻って来れるだろ」
 シャワー借りるぜ、と部屋を出て行くロウくんに、リンウェルは「はーい」と何の気なしに返事をした。
「タオルはいつものところの使ってね」
「へーい」
 ロウくんの遠い声と同時に、どこかのドアがバタンと閉じる音がする。
「それじゃ、邪魔者もいなくなったことだし、早速感想聞かせてもらおっかな」
「そ、そう?」
 リンウェルが何事もなかったかのように言うので、わたしはややたじろいだ。
 いくら仲の良い元仲間で友人とはいえ、年ごろの男の人に自宅のシャワーをそんなに簡単に使わせるものかな……。おまけにタオルの在り処も勝手も知っているようだったし……。内心で傾げた首がさらに傾いていく。
 でも、きっと旅の間にいろいろなことがあったに違いない。所持金の関係でみんなで同じ部屋に泊まることも多かったというし、これはその名残なのだろう。
 言い聞かせながら、わたしは鞄から本を取り出した。ぱらぱらとページをめくり、感想や考えたことをリンウェルに話して聞かせた。
 それからあまり時間の経たないうちだったと思う。
「おーい。俺の下着どこやったー?」
 聞こえてきたのは、壁越しの遠い声だった。
「着替えのカゴに入ってねーんだけどー?」
 し、下着!?
 思わぬ言葉に、わたしは飲んでいたお茶を吹き出しそうになったけれど、リンウェルは少しも驚いた様子も見せず、やや声を張って返した。
「えー? いつものところにあるでしょー? 確か昨日洗って、入れておいたはずだけどー?」
「だからそれがねえんだってー! このままだと俺、ノーパンの変態野郎になっちまう!」
 ガサゴソと何かを漁るような音が聞こえる。ひっきりなしに響く物音にイライラしたのか、そこでリンウェルは「もう!」と言って立ち上がった。
「ちょっとごめんね。うるさい奴を黙らせてくるから」
「う、うん……」
 口を尖らせたリンウェルは足音を強くしてそのまま部屋を出て行った。と思うと、バン! とどこかの扉が開く音がする。
「うるさいなあ、もう! 下着ならいつものところに――って、わあっ! 服着てよ!」
「だからその服がねえんだろ! 俺にもっかい同じパンツ履けってのかよ!」
「そんなに暴れないで! タオル落ちちゃう!」
 それからまたわあわあと騒がしい声が聞こえてきたのは言うまでもない。
 わたしは再び呆然としながらそのやり取りを聞いていた。先ほどキッチンでの二人を眺めていた時とは少し違った意味合いで、呆気に取られていたのだった。

 数日後、宮殿の中庭のところでリンウェルを見かけた。彼女を取り囲んでいるのは図書の間でよく顔を合わせる友人たちで、なんだ、いつものようにおしゃべりでもしているのかと思ったら、
「ねえ、助けて!」
 リンウェルがこちらに駆けてきて、わたしの腕を取った。
「ど、どうしたの?」
「あらぬ疑いを掛けられてるの!」
 その視線の先では見知った友人たちがにやにやとこちら、いやリンウェルを見ている。それだけでわたしはなんとなく、事情を察した。
 その推察はおおよそ的中していたらしい。
「そろそろ白状したら? 本当は付き合ってるんでしょ? 知り合いが言ってたよ。街道で2人仲良く歩いてるのを見かけたって」
「昨日もだよ。揃って買い出しなんかしちゃって。ただの友達にしては距離が近すぎるよね」
 リンウェルは「それは遺跡調査に行ってただけ!」とか「昨日はたまたま会ったから、手伝ってもらっただけ!」などと必死で言い訳をしていた。
「えーでも、前もレストランから揃って出てくるの見たよ?」
「屋台でアイスも食べてたよね。半分こしてたって本当?」
「ぜ、全部本当だけど……」
 似たような押し問答を長いこと続けてきたのだろう。縋るような目をして、リンウェルはわたしを見上げた。
「ねえ、私の代わりに何とか言ってあげてよ。私とロウはそんなんじゃないよね?」
 ハの字になった眉がなんともいじらしい。これまでのわたしなら、きっとこの場面で何かリンウェルを庇う言葉を口にしていたはずだ。
 それでも――。
「ごめん、リンウェル」
「……え?」
「誤解されるのも、仕方ないんじゃないかな……」
 みるみる顔を青ざめさせていくリンウェルに、わたしは言った。
 だって、あんな仲睦まじいやり取りを見せつけられてしまっては。あんな、ほとんど半同棲のような生活を実際に目の当たりにしてしまった今では。
「2人はまったくそういう関係じゃないんだよ」だなんて、口が裂けても言えそうにはなかった。

 終わり畳む

#ロウリン #モブ視点