習作や小ネタ 2025/03/07 Fri 習作④続きを読む 身体が鉛のように重い。一歩、また一歩、両脚を引きずるようにして前に進む。ただ前進するというだけで、こうも努力が必要なものか。 別に、体調が悪いわけじゃない。ヴィスキントに来るまでの護衛任務だってケガひとつ負わなかったし、熱っぽいわけでもなかった。寝不足でもなければ、休みが取れていないわけでもなく、食事だって毎食きちんと摂れていた。 そもそも、そういうふうに感じること自体に納得がいっていない。何を気を重たくするようなことがあっただろう。振り返ってみても、思い当たることなどひとつもない。いつものように日常を過ごし、いつものように仕事をこなしてきただけ。 そうだ。カラグリアで「さすがジルファの息子だ」などと持て囃されることも、シスロディアで数年前まで同じ隊服を着ていた連中に陰口を叩かれることも、何らいつもと変わらない。すべてよく目にする、耳にする日常の範囲内のはずだ。 言い聞かせて、ひたすら通りを進んだ。市場の喧騒も、客引きの声も聞こえない。ただ風に流される葉のごとく、導かれるまま足を動かす。 やがて辿り着いたドアをノックすると、奥からは拍子抜けするほど明るい声が聞こえた。数秒ののち、ぎいっと開かれた扉の隙間からひょっこりとリンウェルが覗いた。「いらっしゃい。今日は少し早かったね」 まるで花のような笑みを浮かべてリンウェルは言った。その香りに誘われるかのようにして部屋に足を踏み入れる。 すぐ前を行くリンウェルの足取りはどこか弾んでいるようにも見えた。何かいいことでもあったのだろうか。横顔からは鼻歌さえ聞こえてきそうだ。「お仕事お疲れ様。ケガはない? ズーグルには遭わなかった?」「ああ」「何か食べる? ってまだ夕飯には早いけど。お茶でも淹れる?」「……そうだな」 いつもより口数の少ない俺に気付いたのだろう。リンウェルが首を傾げつつ、こちらを覗き込んでくる。「ロウ? どうかした?」「……いや、」 なんでもない、と言うつもりで首を振った。そのままいつもみたいに軽く笑って、腹が減っただけだ、とでも誤魔化せばよかったのに。 その大きな瞳に見つめられたら、それまで頭の中にあったものはすべて消し飛んでしまった。「リンウェル」 返事が返ってくる前に、その肩口に額を押し付ける。「…………疲れた」「……そっか」 やがて小さく笑う声が聞こえてきたかと思うと、優しい指が髪を撫でる感触がした。 リンウェルは何も聞かなかった。穏やかに笑みを浮かべながら、いつものようにソファーで本を開いて、「今日だけ特別ね」と肩を貸してくれた。「ロウがこんなふうになるなんて、結構頑張ったんだね」 別にそうでもない、と言おうとして、声が出ない。口を開くのも億劫で、ただ怠惰なまま頭をもたれかける。「頑張りすぎは良くないけどね。ロウのことだから、自分の限界を知らないんだろうけど」 言いつつ、リンウェルは本のページをめくった。普段読んでいるものよりは絵が多い気もしたが、それでも隙間には小さい文字がうじゃうじゃと蠢いていた。それらは今にも這い出してきそうで、想像しては背筋が震え上がった。「でも、爆発する前に言ってくれてよかった。ロウはそういうののコントロールが下手だから」「……別に、」 そこでようやく声が出た。「そういうつもりはねえけど」「そうかな。でもロウ、何かと我慢しがちでしょ? 少しでも自分に非があると思えば、すぐに黙り込んじゃうじゃない」 うっと言葉に詰まったのは、図星を突かれたというよりは、再認識させられたからだ。 自分はどうやら思った以上に人の言葉を気にしていたらしい。それも今は変えられない、過去のことに関してはことさら。 積もりに積もったそれが、こうして身も心も重くしていた。見てみぬふり、感じていないふりなどできないと頭ではわかっていたのに。 情けないな、と思う。いつまでも過去に囚われて、引きずって。 しまいには肩にもたれかかっている。自分よりもずっと薄くて細いリンウェルの肩に。 本当なら逆じゃないのか。俺が肩を貸すべきじゃないのか。思いながら、俺は頭をもたげることもなく、文字を追うリンウェルの指を呆然と眺めた。「落ち込んでるでしょ」 少し笑いを含んだ声でリンウェルは言った。「もしくは拗ねてる?」 返事はしなかった。それは返事をしたも同じことだが。「余計なことを考えちゃう時は、寝た方がいいんだよ」 そんなリンウェルの提案に、けど、と思わず呟く。「私は大丈夫だよ。本読んでれば、重さとか気にならないし。それにもうすぐ夕方だしね。邪魔になったら、その時起こすから」 邪魔とはまた随分な言い草だ。そう思いつつ、俺はその言葉に甘えて目を閉じることにした。たちまちどこからか睡魔の足音が聞こえてくる。「じゃあ、少しだけ」「うん。どうぞ」 おやすみ、と言うと、おやすみ、とすぐに返ってきた。安心する、と思ってから数分も経たないうち、意識はそこでぷつっと途切れた。 目が覚めたのは、スパイスの良い香りがしたからだ。ふと見ると俺はソファーに横になっていて、身体には毛布が掛かっていた。 いつの間に。どうやら一連の流れにまったく気が付かないほどに眠りこけてしまっていたらしい。「あ、起きた?」 キッチンに立ったリンウェルがちらりとこちらを振り返る。「あまりにもよく寝てたから、そのまま起こさなかったんだ」 珍しく熟睡してたみたいだね、と言われて、身体が軽くなっていることに気が付いた。ぼうっとしていた頭も冴えて、幾分すっきりしたみたいだ。「どう? よく休めた?」「ああ、おかげさまでな」 ありがとな、と言うとリンウェルは鍋の方を向いたまま、「どういたしまして」と言った。 それからはリンウェルの作ったカレーを2人で食べた。デザートが出る頃には散歩に行っていたフルルが窓から帰ってきて、俺とアイスクリームの争奪戦になった。「そもそもそれは俺に出されたデザートだ」と俺が主張する一方、フルルは「お前がいなかったらこれは自分のものになっていたはずだ」と羽をばたつかせた。結局は半分にすることで決着したが、リンウェルはその様子を見て終始くすくすと笑っていた。 後片付けを終える時分には、空には星が瞬くようになっていた。俺は元々取っていた宿に戻るため、どうにも重たい腰を上げた。 玄関先で別れる時、俺はリンウェルに改めて礼を言った。「今日は、ありがとな。ソファーも、毛布も借りちまって」 肩まで借りたことは、敢えて言わない。「夕飯の手伝い、何もできなくて悪かったな。せめて土産の1つでも買ってこられたら良かったんだけど……」 今さら自分の気の利かなさに愕然とする。いくら疲弊しきっていたとはいえ、家に上がらせてもらう以上、それなりの礼儀はわきまえるべきなのに。 思えば今日は駄目な1日だった。気分も、リンウェルへの対応も。着いて早々愚痴って、ソファーを独り占めして眠ってしまうなんて。 それこそ反省すべきじゃないのか。俺の人生は丸ごと反省と後悔に染まっているのかもしれない。 項垂れていると、「いいよ、そんなの」 リンウェルが首を振った。「別にお土産があるとか気にしてないし。あ、もちろんもらえたら嬉しいけどね? でも、それありきでロウが来るのを楽しみにしてるんじゃないんだよ」 思わず顔を上げた。リンウェルは俺が来るのを楽しみにしてくれているのか。 胸が小さく高鳴ったかと思ったのに、リンウェルは続けて思いついたように言った。「もう1つ言っておくと、かっこいいロウにも期待してないから」「え」「だってそうでしょ。そんなのロウであってロウじゃないよ。無理してかっこつけたロウなんか、ロウじゃない」 リンウェルが小さく口を尖らせる。「私の前ではそんなふうに取り繕わないでよ。今日みたいに、がっくりもたれかかってくれればいいの」「けど……」 俺は決まり悪くなって頭を掻いた。「お前にあまり情けないところ見せたくないっつーか」 意を決して言ったのに、「私が言ってるんだからいいでしょ。というか、他の人にあんなことしたら承知しないから」 などとリンウェルは言う。「ロウがほかの人に見せられないような顔は、私の前でしてくれればいいから。むしろ、私以外の前で見せないで」 いい? と念を押されて、俺は思わず頷いた。よろしい、と言ってリンウェルが笑う。「じゃあ、帰りも気を付けてね。ケガにもズーグルにも」 言いくるめられたような気がしたが、そこまで気にはならなかった。扉を開いて、リンウェルの家を出る。 空には満天の星が輝いていた。きっとおそらく明日も、晴れるに違いないと思った。 終わり畳む#ロウリン favorite
身体が鉛のように重い。一歩、また一歩、両脚を引きずるようにして前に進む。ただ前進するというだけで、こうも努力が必要なものか。
別に、体調が悪いわけじゃない。ヴィスキントに来るまでの護衛任務だってケガひとつ負わなかったし、熱っぽいわけでもなかった。寝不足でもなければ、休みが取れていないわけでもなく、食事だって毎食きちんと摂れていた。
そもそも、そういうふうに感じること自体に納得がいっていない。何を気を重たくするようなことがあっただろう。振り返ってみても、思い当たることなどひとつもない。いつものように日常を過ごし、いつものように仕事をこなしてきただけ。
そうだ。カラグリアで「さすがジルファの息子だ」などと持て囃されることも、シスロディアで数年前まで同じ隊服を着ていた連中に陰口を叩かれることも、何らいつもと変わらない。すべてよく目にする、耳にする日常の範囲内のはずだ。
言い聞かせて、ひたすら通りを進んだ。市場の喧騒も、客引きの声も聞こえない。ただ風に流される葉のごとく、導かれるまま足を動かす。
やがて辿り着いたドアをノックすると、奥からは拍子抜けするほど明るい声が聞こえた。数秒ののち、ぎいっと開かれた扉の隙間からひょっこりとリンウェルが覗いた。
「いらっしゃい。今日は少し早かったね」
まるで花のような笑みを浮かべてリンウェルは言った。その香りに誘われるかのようにして部屋に足を踏み入れる。
すぐ前を行くリンウェルの足取りはどこか弾んでいるようにも見えた。何かいいことでもあったのだろうか。横顔からは鼻歌さえ聞こえてきそうだ。
「お仕事お疲れ様。ケガはない? ズーグルには遭わなかった?」
「ああ」
「何か食べる? ってまだ夕飯には早いけど。お茶でも淹れる?」
「……そうだな」
いつもより口数の少ない俺に気付いたのだろう。リンウェルが首を傾げつつ、こちらを覗き込んでくる。
「ロウ? どうかした?」
「……いや、」
なんでもない、と言うつもりで首を振った。そのままいつもみたいに軽く笑って、腹が減っただけだ、とでも誤魔化せばよかったのに。
その大きな瞳に見つめられたら、それまで頭の中にあったものはすべて消し飛んでしまった。
「リンウェル」
返事が返ってくる前に、その肩口に額を押し付ける。
「…………疲れた」
「……そっか」
やがて小さく笑う声が聞こえてきたかと思うと、優しい指が髪を撫でる感触がした。
リンウェルは何も聞かなかった。穏やかに笑みを浮かべながら、いつものようにソファーで本を開いて、「今日だけ特別ね」と肩を貸してくれた。
「ロウがこんなふうになるなんて、結構頑張ったんだね」
別にそうでもない、と言おうとして、声が出ない。口を開くのも億劫で、ただ怠惰なまま頭をもたれかける。
「頑張りすぎは良くないけどね。ロウのことだから、自分の限界を知らないんだろうけど」
言いつつ、リンウェルは本のページをめくった。普段読んでいるものよりは絵が多い気もしたが、それでも隙間には小さい文字がうじゃうじゃと蠢いていた。それらは今にも這い出してきそうで、想像しては背筋が震え上がった。
「でも、爆発する前に言ってくれてよかった。ロウはそういうののコントロールが下手だから」
「……別に、」
そこでようやく声が出た。
「そういうつもりはねえけど」
「そうかな。でもロウ、何かと我慢しがちでしょ? 少しでも自分に非があると思えば、すぐに黙り込んじゃうじゃない」
うっと言葉に詰まったのは、図星を突かれたというよりは、再認識させられたからだ。
自分はどうやら思った以上に人の言葉を気にしていたらしい。それも今は変えられない、過去のことに関してはことさら。
積もりに積もったそれが、こうして身も心も重くしていた。見てみぬふり、感じていないふりなどできないと頭ではわかっていたのに。
情けないな、と思う。いつまでも過去に囚われて、引きずって。
しまいには肩にもたれかかっている。自分よりもずっと薄くて細いリンウェルの肩に。
本当なら逆じゃないのか。俺が肩を貸すべきじゃないのか。思いながら、俺は頭をもたげることもなく、文字を追うリンウェルの指を呆然と眺めた。
「落ち込んでるでしょ」
少し笑いを含んだ声でリンウェルは言った。
「もしくは拗ねてる?」
返事はしなかった。それは返事をしたも同じことだが。
「余計なことを考えちゃう時は、寝た方がいいんだよ」
そんなリンウェルの提案に、けど、と思わず呟く。
「私は大丈夫だよ。本読んでれば、重さとか気にならないし。それにもうすぐ夕方だしね。邪魔になったら、その時起こすから」
邪魔とはまた随分な言い草だ。そう思いつつ、俺はその言葉に甘えて目を閉じることにした。たちまちどこからか睡魔の足音が聞こえてくる。
「じゃあ、少しだけ」
「うん。どうぞ」
おやすみ、と言うと、おやすみ、とすぐに返ってきた。安心する、と思ってから数分も経たないうち、意識はそこでぷつっと途切れた。
目が覚めたのは、スパイスの良い香りがしたからだ。ふと見ると俺はソファーに横になっていて、身体には毛布が掛かっていた。
いつの間に。どうやら一連の流れにまったく気が付かないほどに眠りこけてしまっていたらしい。
「あ、起きた?」
キッチンに立ったリンウェルがちらりとこちらを振り返る。
「あまりにもよく寝てたから、そのまま起こさなかったんだ」
珍しく熟睡してたみたいだね、と言われて、身体が軽くなっていることに気が付いた。ぼうっとしていた頭も冴えて、幾分すっきりしたみたいだ。
「どう? よく休めた?」
「ああ、おかげさまでな」
ありがとな、と言うとリンウェルは鍋の方を向いたまま、「どういたしまして」と言った。
それからはリンウェルの作ったカレーを2人で食べた。デザートが出る頃には散歩に行っていたフルルが窓から帰ってきて、俺とアイスクリームの争奪戦になった。「そもそもそれは俺に出されたデザートだ」と俺が主張する一方、フルルは「お前がいなかったらこれは自分のものになっていたはずだ」と羽をばたつかせた。結局は半分にすることで決着したが、リンウェルはその様子を見て終始くすくすと笑っていた。
後片付けを終える時分には、空には星が瞬くようになっていた。俺は元々取っていた宿に戻るため、どうにも重たい腰を上げた。
玄関先で別れる時、俺はリンウェルに改めて礼を言った。
「今日は、ありがとな。ソファーも、毛布も借りちまって」
肩まで借りたことは、敢えて言わない。
「夕飯の手伝い、何もできなくて悪かったな。せめて土産の1つでも買ってこられたら良かったんだけど……」
今さら自分の気の利かなさに愕然とする。いくら疲弊しきっていたとはいえ、家に上がらせてもらう以上、それなりの礼儀はわきまえるべきなのに。
思えば今日は駄目な1日だった。気分も、リンウェルへの対応も。着いて早々愚痴って、ソファーを独り占めして眠ってしまうなんて。
それこそ反省すべきじゃないのか。俺の人生は丸ごと反省と後悔に染まっているのかもしれない。
項垂れていると、
「いいよ、そんなの」
リンウェルが首を振った。
「別にお土産があるとか気にしてないし。あ、もちろんもらえたら嬉しいけどね? でも、それありきでロウが来るのを楽しみにしてるんじゃないんだよ」
思わず顔を上げた。リンウェルは俺が来るのを楽しみにしてくれているのか。
胸が小さく高鳴ったかと思ったのに、リンウェルは続けて思いついたように言った。
「もう1つ言っておくと、かっこいいロウにも期待してないから」
「え」
「だってそうでしょ。そんなのロウであってロウじゃないよ。無理してかっこつけたロウなんか、ロウじゃない」
リンウェルが小さく口を尖らせる。
「私の前ではそんなふうに取り繕わないでよ。今日みたいに、がっくりもたれかかってくれればいいの」
「けど……」
俺は決まり悪くなって頭を掻いた。
「お前にあまり情けないところ見せたくないっつーか」
意を決して言ったのに、
「私が言ってるんだからいいでしょ。というか、他の人にあんなことしたら承知しないから」
などとリンウェルは言う。
「ロウがほかの人に見せられないような顔は、私の前でしてくれればいいから。むしろ、私以外の前で見せないで」
いい? と念を押されて、俺は思わず頷いた。よろしい、と言ってリンウェルが笑う。
「じゃあ、帰りも気を付けてね。ケガにもズーグルにも」
言いくるめられたような気がしたが、そこまで気にはならなかった。扉を開いて、リンウェルの家を出る。
空には満天の星が輝いていた。きっとおそらく明日も、晴れるに違いないと思った。
終わり畳む
#ロウリン