気まぐれ文章

短いのとかそうでないのとか

小ネタ②
※DLCの内容を含みます。

 皆の集まる焚火から少し離れた先。穏やかにせせらぐ小川のほとりに、ロウはいた。
 私はタオルを片手にそっと忍び寄り、しゃがみこんだその背中に手を掛けた。
「わあ!」
「うわあっ!」
 上がった叫び声が辺りに大きく反響する。背中に触れたのが私だと知るや否や、ロウは盛大に息を吐いた。
「なんだ、お前かよ。驚かせやがって」
「ごめんごめん。ロウが無防備にしてるの見たら、ついね」
 はいこれ、と私が渡したタオルを、ロウはサンキュ、と受け取った。水浴びをした犬のように前髪を振るいながら、それをがしがしと顔に押し当てる。首筋に流れた水滴が、星明かりにきらきら光るのが見えた。
 今日は、皆で野営をしていた。宿を取るのもいいけれど、久々に焚火を囲んで語らってはどうだろうという話になったのだ。
 その方が旅をしていた頃のことをよく思い出せる。あの日々の思い出は、普段離れ離れで暮らしている私たちにとって、何にも代えがたい大切な宝物でもあった。
 それに、今の私たちには新しい仲間が増えた。仲をより深めるためには、皆で一緒に美味しいものを食べながらおしゃべりするのが一番手っ取り早い。その子にそういった経験があまりないというのなら、なおさら。
「ナザミルは? 一緒だったんじゃねえのか?」
「うん、さっきまでね。でも眠くなってきたから、先にフルルと寝てるって」
「そうか」
 ロウはタオルを額に押し当てながら笑って言った。「良かったな」
「うん」
 私は頷いた。「本当に」
 このところ、ナザミルは随分変わったように思う。変わったといっても、もちろん良い方向にだ。
 あくまで主観ではあるけれど、だんだんと私たちに心を開いてきてくれているような気がする。どうしても開かなかった蕾が膨らむように、固く握りしめられるばかりだった拳から力が抜けていくように、ナザミルの心が次第に柔らかくなっていくのがわかる。そうして、本来そうあるべきはずのナザミルの素顔が徐々に垣間見えてきているような気がするのだ。
「自分のこと、かなり話してくれるようになったよな。最初の頃はああしたいこうしたいって、ナザミルの口からひとつも聞いたことなかったし」
「最近もね、少しずつ食べたいものも教えてくれるんだよ。今日だって、先に寝てるねって自分から伝えに来てくれたし。少し前なら、眠いのに我慢して座ったまま舟を漕いでることもあったじゃない? 我慢しないでいいよって言われてから、ようやくふらふら寝床に向かってたのに」
 それなのに、今日は自ら私のところに告げに来てくれた。まだどこか遠慮がちではあったけれど、それでもはっきりと自分の意思を伝えてくれたのだ。
 そんな小さな変化が、いや、小さな変化だからこそ嬉しい。ナザミルが気負わず飾らず、ありのまま私たちと馴染んでくるようで。
「素直に自分の気持ちを伝えられるって、大事なことだよね。そうしてもいいって思える相手になれたことも、本当に嬉しいんだ」
 それはいつかの自分にも重なるのかもしれない。復讐に囚われ、頑なだった心を、私は皆に解きほぐしてもらった。
 そうして得た心の安寧は今も私を支え続けてくれている。だからこそ私もナザミルに手を差し伸べたいと強く思う。支えであり続けたいと願う。
「そうだな」
 ロウは私の言葉に大きく頷いた後で、
「けど、お前ははなっから俺には遠慮なかったけどな」と、もの言いたげな視線を寄越した。
「打たれ弱いだの何だの、好きに言いやがって」
「だってそれは本当のことでしょ。っていうか何、まだ根に持ってたの? ロウのくせに、執念深いなあ」
「くせにって何だよ、くせにって。あの頃の俺は誰よりデリケートだったってのに、その心を弄びやがって」
「デリケートの意味も知らないで、よく言うよ」
 うるせー、とロウは憎まれ口を叩きながらも、その声には笑いを滲ませていた。過去を笑って話せるようになったのは、私もロウもお互い様だ。
 ロウは一通り顔を拭った後で、再びその場にしゃがみこんだ。さらさらと流れる小川にタオルを浸し、指先から滴る水滴に顔をほころばせる。
「この川にも、もう何度も来てるよな。いつ来ても静かだしきれいだし、こうしてると、なんとなく落ち着く気がするんだよな」
 透き通った水面にロウの指が揺らめく。映りこんだ星屑が波に流され溶かされ、たちまち滲んで消えた。
 そんなごくありふれた光景に、しばし私の目は奪われた。ロウの指、少し長くなった? そもそも手自体が大きくなったのかな。前よりも骨ばってるような、ごつごつしたような。元々こんなだったっけ。
 数秒考えてから、はっとした。そうして触れた頬には、やや熱が籠っていた。
 この感覚には覚えがある。ついさっきのことだ。アルフェンたちが焚火を囲って談笑していて、私はフルルを撫でながら近くの木にもたれていた。そばではロウが日課の鍛錬をしていて、ぼうっとその様子を眺めていたのだった。
 久々に見るロウは、なんだか以前よりぐっとたくましくなったように見えた。戦闘の時も思ったけれど、拳も蹴りも、前より鋭くなった気がする。身長も少しだけ伸びたような? ロウとは皆より顔を合わせる機会が多いはずなのに、どうしてそんなふうに思うんだろう。
 あれこれ考えていると、
「どうしてロウのこと見てるの?」
 いつの間にかそばに佇んでいたナザミルに問われた。
「え、わ、私は、別に……」
「何もないのに見てたの?」
 咄嗟のことに、私はつい「か、監視だよ!」と誤魔化してしまった。「ロウがサボってないか、監視してるの!」
 ナザミルは驚いたように目を丸くしていたけれど、本当は一番驚いていたのは私自身だった。どうして私、ロウのことを見ていたんだろう。それもまじまじと、周りから見ても気づかれてしまうくらい。
 なんとなく? 自然と視界に入ってきたから? その通りなようで、違う気もする。もしロウが違う場所で鍛錬していたとしても、私はきっとロウのことを見ていた。
 そうすることに、理由なんか1つしかない。私は心の奥底ではそれに気づいていて、気づかないふりをしているだけだ。
 向こうはまったく気づいてないのにな。ロウは私が顔色を赤くしたり青くしたりしていることなどつゆ知らず、小川でバシャバシャと音を立てながらタオルを洗いだした。
 ふとこみ上げてきたのは、猛烈なほどの悔しさだ。私はしゃがみ込んだロウのそばに身をかがめると、腕を伸ばして人差し指でその背中をなぞった。
「な、なんだ?」
 慌てたような声を出すロウに、私は笑いを堪えて言った。
「何って、背文字遊びだよ。知らない?」
 背中に書いた文字や文章を当てるゲーム。幼い頃に、両親や近所の友人たちと遊んだ記憶があった。
「私が今から文字を書くから、なんて書いたか当ててね」
 そんなのわかるわけないだろ、というロウのボヤキは聞こえないふりをして、そっと指を滑らせる。
「ヒントは、私の好きな食べ物だよ」
 簡単だろうと思ったのに、
「うーん……」
 ロウは少し悩んだ後で、
「『肉』?」と言った。
「違うよ! 『アイス』だよ! ロウじゃなくて、私の好きな食べ物だから!」
 文字数まで間違えるポンコツっぷりに呆れながらも、もう1問同じテーマで出題する。
「あ、これはわかったぞ」
「何?」
「『ケーキ』!」
「ブブー。正解は『パフェ』でしたー」
 背中に大きく『×』印を書く。指先から自分よりも熱いロウの体温が伝わってくる。
「っていうか1文字も合ってないじゃん。当てずっぽうでしょ」
「へへ、バレたか」
 ロウは子供のような笑みを浮かべて宙を仰いだ。いまだ乾ききらない前髪が、植物の茎のようにしなった。
 まったく、相変わらずの能天気だ。身体や戦闘の技術が成長しても、根本はそのまま。何も変わっていないらしい。
 ――でも、私はその能天気さに何度も救われたんだけどね。
「じゃあ、次が最後の問題ね。ヒントは、私の今の気持ち」
「気持ち?」
 うん、と頷きながらロウの背中に指を這わせる。ナザミルが自分の気持ちを伝えてくれたように、私も少しくらい素直になってみてもいいかもしれない。
 最後の一文字を書き終えたところで、
「さて、なんて書いたでしょう!」
 私はロウに訊ねた。
「いやわかるかよ! つーかすげえ長くなかったか? もはや文章だろ!」
「あ、そこまでわかったんだ? 成長したね」
 くすくす笑って立ち上がり、その場を後にする。
「あ、おい! 正解教えろよ!」
「教えないよー。自分で何とか考えてみてね」
 たとえ背中に書くことはできても、声にして伝えることはできない。自覚があるような無いような、伝わって欲しいような欲しくないような、そんな曖昧な私の気持ち。
私のことも見て欲しい
 答えを知っているのは、今夜の星明かりだけだ。
 
 終わり畳む

#ロウリン